こんにちはmaikoです。
今回は、私が36歳に宣告された子宮体がんについて書きます。
私の子宮体がんは、組織型G2・進行期ⅠA期でした。
がん家系でもない自分がまさかの出来事でした。
現在は治療を終え、普通に生活していますが、
色々辛いこともたくさんありました。
病状によって治療の選択肢はさまざまだと思いますが、
いち個人の病気の記録としてご覧ください。
今思えば前兆?
私は2020年4月(36歳の時)にがんを宣告されました。
生理は若い頃から生理痛もあるし、量も多かった方です。
他の人と比べることが出来ないので、「まぁこんなものだろう」と思っていました。
34歳ぐらいから、生理の周期にバラツキがありました。
若い頃はきまって28日周期で来ていましたが、
たま〜に36日くらい間が周期が長くなることがありました。
でも、まるっと1ヶ月こないということはなく、
ネットで調べても、周期はずれることがあるというような情報もあったので
さほど気にしていませんでした。
不正出血 異変を感じ始める
がんと分かる10ヶ月くらい前に少し見過ごせない不正出血がありました。
それは生理が終わる7日目あたりに、
まとまった赤い出血と茶褐色の出血があったことです。
量は少しでしたが、ナプキンを外すことはできませんでした。
それと同時期に仕事でものすごくイライラするようになりました。
年齢的にも一番仕事量が多かった時期ですが、
とにかく周りの人にもイライラしてしまい、
自分ではコントロールできない程でした。
駅の階段を登るのも苦しくて、
「毎日毎日、仕事でこんなにクタクタにならなければいけないのか。」
「世の中の人はみんなそうなのか。」
日常が“苦しい”の繰り返しだった記憶があります。
近所の婦人科クリニックへ行く
その不正出血が止まったときに、
家の近くの婦人科クリニックに行きました。
不正出血とイライラを伝え、
経膣エコーと子宮体がんと子宮頚がんの検査をしました。
少し子宮内膜が厚めと言われました。
一週間後、結果を聞きに行くと、
・子宮頸がん 陰性
・子宮体がん 細胞が取れていなかった
という結果でした。
年配の先生で、
がんがあれば細胞が取れるはずだからそんなに心配しなくていいと言われました。
私も辛い検査をもうやりたくなくて、「それでいっか」と思ってしまいました。
イライラを抑えるため漢方が処方され飲みましたが、全然効きませんでした。
子宮体がんはネットで調べると40後半から50代がなりやすいとか、
肥満がなりやすいなどの情報があったので「自分は違うだろう」と思い込みもありました。
2度目の不正出血
その後数ヶ月は生理に特にトラブルはありませんでした。
ただ生理が終わるのに8日〜10日くらいかかるようになっていました。
がんとわかる3ヶ月前に大量の不正出血がありました。
それは生理が終わって1週間後、
普通ならば絶対出血しないタイミングに起きました。
生理2日目よりも多い出血で血の塊も出ました。
買い物中でしたが、歩けなくなってしまうほどでした。
次の日は、血が止まったので仕事に行っていましたが、
明らかにおかしいと感じました。
別の婦人科クリニックへ行く
今度は周囲の意見を聞いて新宿レディースクリニックへ行きました。
不正出血とイライラを伝え、
経膣エコー、子宮頸がんの検査をしました。
この時も子宮内膜が厚めと言われました。
年齢や体形的にみて体がんではなさそうだけど・・・と言われました。
イライラはホルモンバランスのせいだからと、ピルを提案されました。
とくに妊娠の予定もなく、
とにかくイライラから開放されたかったので飲むことにしました。
ピルを飲み始めてみると、
すこぶる体調が良かった。
イライラもおさまるし、生理も来ないし。
ただ子宮内膜が厚いのが気になるとのことで、
後日また子宮体がんの検査に行きました。
そして結果を聞きにいくと、
・子宮頸がん 陰性
・子宮体がん CLASSⅢa
でした。
CLASSⅢaはグレーゾーンで、
「子宮内膜掻爬術」という検査で子宮内膜を全面採取して、
がんがないか調べたほうがいいということでした。
ちょっと怖かったけど、麻酔をかけて行い、日帰りでできるとのことで、
予約して帰りました。
ピルは一旦やめるように言われました。
調子良かったのでショックでした。
帰り道、ネットで色々調べました。
CLASSⅢaは少し悪性を疑う程度で、
必ずがんが出るわけではなさそうだったので、
自分はまだ大丈夫だろうと思っていました。
初めての子宮内膜掻爬術
お母さんが一緒に来てくれました。
いつも病気のときは一人で乗り越えてきたけど、
本当に心強かったです。
朝から飲まず食わずで病院に行き、
お昼頃に検査になりました。
処置台に上がってすぐに麻酔を打たれて、
気づいたときにはリカバリー室(個室)のべットで寝ていました。
麻酔が効きすぎてしまって、起き上がれませんでした。
起き上がろうとすると、
気持ち悪くなって足から崩れ落ちそうになってしまいました。
普通は術後2〜3時間で帰るみたいですが、
私は5〜6時間くらい病院から出られませんでした。
母は朝からずっと待っていてくれて、
全部に荷物を持ってくれて夜一緒に帰りました。
がん宣告
その数日後、
一人で結果を聞きに病院に行き、
がん細胞が出たと伝えられました。
・・・・・・・・。
「早く大きな病院に行ってください」と言われました。
「病院はどこがいいかありますか?」と言われたけど、分かりませんでした。
がん研有明病院はどうかと言われ、従いました。
そのときは怖くなって、
「子宮とらなくちゃだめですか?」とか「死にますか?」って聞きました。
先生は、
最近は色々と方法があること、
早く見つかれば予後が良いからと教えてくれました。
とにかく来週の朝一番で有明病院の初診予約を取りなさいと言われました。
そのあと、どうしていたかあまり記憶がありません。
ただお母さんにLINEして、
電話かかってきて、
泣いたことは覚えているけど、
話したことはなにも覚えていません。
そして、言われたとおり有明病院の予約をしました。
がんを誰に知らせる?
私が母以外にがんになったことを伝えたのは、
・親友であり同僚のSちゃん
・親友のHくん(既婚)
・当時の彼氏
・職場の上司(2人)
の5人でした。
親友2人はどんなときも味方でいてくれるし、
なんでも話せる人だったので、無意識に速攻で結果を伝えていました。
職場の2人の上司にも伝えました。
本当は同じ部署の人には話したほうがいいかなとも思いましたが・・・
言えませんでした。
ただ婦人科系の病気で治療が必須であり休みも増えることを
主任の方から話してもらい理解を得ました。
うわさになることが怖かったけど、
仕事と治療を両立するにはある程度は話さなければいけないと思いました。
そして多少うわさにはなっていたと思います・・・
でも気になることはありませんでした。
母の存在、職場のみんなの理解と友人らの支えのおかげで、
治療と仕事を両立することが出来ました。
人に恵まれ、本当に感謝です。
まとめ
今回は異変を感じ始めてからがんが見つかるまでを振り返りました。
次回はがんと分かってからの検査や治療方針の決定のときのことを振り返ります。
がんと告げられたとき、とてつもなく怖くなりました。
その後に絶望が押し寄せました。
でも乗り越えて今があります。
生かされていることに感謝します。
私の経験が誰かのためになれば幸いです。
コメント