こんにちはmaikoです。
子宮体がんブログの続きです。
がんと言われてから、
毎日毎日朝起きたら一連のことが夢だったらな・・・と思わない日はありませんでした。
しかしがんは現実で向き合うことが始まりました。
今回は医師との出会いから治療の選択までを振り返ります。
病気の治療は病状や考え方で異なります。
この記録はいち個人の病気の記録としてご覧ください。
前回まで↓
医師との出会い
がん宣告を受けたのが金曜日で翌週の月曜の朝一で初診予約の電話をしました。
予約は翌日にとれました。
物事が順調に行くと少し気持ちが穏やかになりました。
職場には前の病院でがんと分かった時点で主任に治療を急ぐことを伝え、
全て自分優先で仕事を休ませてもらっていました。
がん研には母と一緒に行きました。
そこでA先生と出会いました。
どんな先生かドキドキしましたが、
普通の中年男性で不必要に心配させることを言わない人で、
ぶっきらぼうな感じはないですが、特別優しそうな雰囲気もありませんでした。
今思うと変に治療に期待しすぎることなく、
冷静に受け止められたのは先生のそういった振る舞いのおかげかもしれません。
先生は紹介状を読みながら、
私の年齢や体型を見てなのか「本当にがんなのか」疑っているように感じがしました。
検査室によって組織診の病理結果にばらつきがあるのか、
もう一度、標本も見直したいとのことでした。
たまにだけどがんでなくなる場合もあると言われました。
私は、自分と同じ臨床検査技師が鏡検しているわけで、見落としはあっても誤診断はないだろうと思いました。
でも、もしかしてがんじゃなかったらいいな〜なんて思う部分もあり承知しました。
その後診察では、
先生が病気と治療についてざっと教えてくれて、
母が私の頭の回らない部分を補うように色々質問してくれました。
私は医療人ですし、先生の話していることは大体理解できました。
最後に私の気持ちを伝えました。
「とにかく怖いです。」
「このまま死んじゃうんじゃないか怖いです」
「他にもがんが転移してないか怖いです。」
そんなことを言っていたと思います。
ただがんを突きつけられ、
それがどんな状態かも分からず、
悪い妄想だけが膨らみあがり、恐怖しかなかった時期でした。
先生はそれを聞きながら、
気休めの言葉や慰めの言葉は言わず、
がんは怖い病気だからしっかり検査して治療しましょうといい、
検査の予約を入れ始めました。
がん専門病院で受けた検査
宣告後に受けた検査は、以下のとおりです。
- MRI
- CT
- 血液検査
- 子宮体がんの細胞診
MRI検査
MRIは一週間後に予約が入りました。
朝から食止めでした。
化粧もダメということでどスッピンで行きました。
造影剤を使っての検査で30分位筒状の機械の中に入りました。
中ではゴーンゴーンや、カンカンカンカンといった音が聞こえました。
CT検査
MRIの一週間後にCTを撮りました。
こちらも造影剤を使って検査しました。
同じく食止めで行きましたが化粧はOKでした。
MRIよりサクッと終わった印象でした。
細胞診
診察の内診で細胞診の検査を行いました。
何度やっても慣れないもので、しんどかったです。
血液検査
はじめて腫瘍マーカーが入るようになりました。
種類はCEAとCA19-9です。
検査結果
2週に渡って検査をし、結果を聞きました。
わたしのがんは、
子宮類内膜がんG2 進行期はIa期と診断されました。
細胞診の病理の結果は、
細胞診の結果は内膜異型細胞が出ていて偽陽性との判定でしたが、
前の病院の病理標本を再検査してもらったところ、G1ではなくG2でした。
進行期はIaで筋層浸潤はありませんでした。
多臓器への転移もなさそうとのことでした。
腫瘍マーカーも正常範囲内でした。
がんの事実は変わりませんでした。
がんの顔つきはG1でなかったのが残念でした。
でも幸いにも筋層浸潤がありませんでした。
初期に分類されるがんの状態でした。
がんになったことは悔しいけど、
もう戻れない。
複雑な心境でした。
治療について先生からのお話し
わたしには治療法が2つありました。
①子宮と卵巣の全摘手術
②ホルモン療法
病理結果(G2)だと標準治療では手術が妥当のようでした。
しかし、私が未婚であることや筋層浸潤がないことを先生は考慮してくれて、
私が望むならホルモン療法をでも良いとのことでした。
ただがんが少しでも筋層に食い込んだ瞬間に手術になること、
また筋層浸潤する怖さを説明してもらい、
それに納得した上でとのことでした。
すぐには結論が出せませんでした。
治療の選択で悩んだこと
がんの恐怖と手術をしたくない感情が葛藤しました。
特別子どもが欲しいと思ったことも、結婚への意欲も強くない人間でした。
もう36歳で子どもを産まない未来も見え始めていたのに、
それを病気という形で断たれるのはとても悔しかった。
出来ることなら、手術はしたくない。
そんな気持ちが強くありました。
当時は彼氏がいて、
結婚前提で付き合っていたので病気を打ち明けたところ私の意見を尊重してくれると言ってくれました。
母には彼氏がいることを話していなかったので、
彼氏がいることを話しホルモン療法を選択してもいいか相談しました。
母はわたしの考えを尊重してくれて一緒に頑張ろうと言ってくれました。
自分の決断
結局、私はホルモン療法であるMPA療法を選択しました。
がんが体内にい続けるのは怖いけど、
手術は選択しませんでした。
結婚するかしないか、
子どもを産むか産まないかは分からないけど、
それがわたしの決断でした。
がんになったことは不幸以外の何物でもありません。
でもわたしには選択肢があり、
神様に感謝しました。
まとめ
お読みいただきありがとうございました。
この頃は、検査の結果に怯える日々でした。
一日中スマホで「子宮体がん」を検索し、
いろんな方のブログを読み自分と比較しました。
自分より辛い経験をされている方はたくさんいて、
それを見ては「私はまだ大丈夫」と思うことすらありました。
すいません・・・。
がんが分かってから一番苦しく藻掻いた時期でした。
自分で治療法を選択した時、
ネットだけの情報に踊らされずに、
自分の病気をよく知ろうと思いこんな本を読みました。
私が通院してる病院が出している本でとてもわかりやすく病気のことが書かれていました。
先生との意思疎通を円滑にし、
自分が不安に思うことや分からないことを明確にするのにとても役に立ちました。
治療の選択は病状によって異なります。
よく医師と話し、理解して選択してほしいと思います。
がん宣告は破壊力があるので、
冷静でいたくてもいられなくなってしまいます。
一緒に話を聞いてくれ、相談にのってくれる家族がいると、
とても心強いと感じました。
次回は治療について振り返ります。
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